2010年3月31日水曜日

岐阜県立多治見病院緩和ケア

県病院に新しい病棟ができ、県内公立病院初の緩和ケアが始まる。担当部長の訪問があった。 
緩和ケアについていろいろお話をお聞きし、その大変さ,むつかしさを痛感した。ドクターとして最善を尽くすが、それ以上のことを提供しなければいけない場となる。それについてどんなことを感じるか,・・・アーティストとしての考えを求められた。
 作家としてできることは、モノづくりしかない。以前、ある美術館に行ったとき美術品の収集の基準に哲学を感じた。その美術品群は仏像ではないが、人を癒すオーラはそれ以上の何かを放っていた。疲れていた私にとって忘れられない経験の一つとなった。今回、このような話をうかがい、じぶんのできる協力を可能な限りやっていこうと思った。そして、今後、織部工房群とも切りはなせない思考の共有となっていく気がしている。

ゆめみる織部工房群

2010年3月30日火曜日

滝呂オリベストリート構想

天をあおぐ Ichizaemon ©
昨日、多治見市市民文化課に補助の件で行ってきた。今までの経験から補助金不安症候群にかかっているが、親切な対応に久しぶりに気持ちが明るくなった話し合いの中から、今取り組んでいる計画が多治見市のオリベストリート構想に繋がることに気づかせてもらった。  
 多治見市ホームページより
『多治見市オリベストリートは織部の精神を受け継ぐ「オリベイズム」に基づいて、多治見市の資源を活かしながら、大胆・自由・破格で新しい視点を持った開発計画をめざします。そのために、3本の柱を立てて企画の機軸とします。第1は「ビジターズ産業の開発」、第2は多治見市の産業・文化の底支えとなる「陶磁器産業の活性化」、第3は、世界に通用するまちづくりをめざす「デザインの創出」です。
現在、本町筋地区「はなやぎのまち」と市之倉地区「きわめのまち」が、オリベストリートに基づいたまちづくりを進めています。 』

滝呂地区は「ワカモノのまち 」として織部工房群のプロジェクトをオリベストリート構想に取り上げられるようにしていきたい。

ゆめみる織部工房群

2010年3月29日月曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 4 失敗

Waldorf Astoria Hotel 昔の写真が有りました。
日本クラブ時代 前回の続き
写真を撮る人が他に居なかったので、どんなところにも、どういうわけか、素人の僕がカメラマンとして行かされた。
ある時、日本国総理大臣(大平氏)外交中、ウォルドルフ アストリア ホテル, ニューヨーク (Waldorf Astoria Hotel)のボールルームで日本クラブ、商工会議所主催の大レセプションが開かれ、多くの報道機関が二階のバルコニーから報道しているなか、あろうことか、僕一人が会場カメラマンとして登録されていた。・・・・そんな状況で大平氏のスピーチが始まり、早く写真を撮れと指示された僕は、あわてて、床に置いてあった総理の目の前のワイングラスの林に突っ込んで行った。(偉い方の話を聞くときは床にグラスを置く) 静まりかえった空間を切り裂く音で総理はスピーチを忘れてしまわれたようにかたまり、永遠とも感じられた時間がスローモーションで流れた。・・・・・・・
こんな失敗がまだある。

ゆめみる織部工房群

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。

柴田一佐衛門 略歴

2010年3月27日土曜日

7窯目

今日、窯を焼いている。横浜高島屋個展に向けて7窯目の焼成をしている。
 個展が近づくにつれ、感覚は研ぎ澄まされてくる。

瀬戸黒 引出予定時刻 18:45

ゆめみる織部工房群

2010年3月26日金曜日

一番の楽しみは仲間づくり。

 Ichizaemon ©
今夜、滝呂工業組合の臨時総会が開かれた。多くの議題を裁決し、会計報告のあと、懇親会で織部工房群プロジェクトの話ができた。今年の新年会に続き2度目の会合で少しづつ仲間が増えそうである。まちづくりが動き出すには多くの人に根気と本気を伝えるしかない。一人でも仲間が増えるのが、いま一番の楽しみである。
みなさんもどうかご参加ください。

ゆめみる織部工房群

2010年3月25日木曜日

多治見市まちづくり活動補助

また補助金にチャレンジしている。今回は「多治見市まちづくり活動補助」。応募要項の一言一句を理解して、すべて完璧に適合しなければ却下となる。
とうぜん情熱だけでは何も受け入れられない。補助を必要としているプロジェクトは千差万別で、ひとことの言葉で縛るより、もっと柔軟性のあるより良い方法があるのではないか、と思うのだが・・・。
出来る限り頑張ってみる。夢を追う、ゆめみる織部工房群。

ゆめみる織部工房群

2010年3月23日火曜日

3月17日に窯から引き出した瀬戸黒

Ichizaemon ©
3月17日のブログ 「窯を焼く」で引き出した、瀬戸黒です。
横浜高島屋個展「柴田一佐衛門、瀬戸黒に挑む」に出品します。
写真  フォトグラファー跡部
先日、私の工房で、撮影。雰囲気が良く出ているので、高島屋の美術画廊のご案内に、この写真を載せます。


ゆめみる織部工房群

2010年3月22日月曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 3 ダイヤモンドロー

日本クラブ時代。
僕のような臆病な人間でも、どんな扉も開けた。 どこにも鬼はいなかった。
前回の続き
目標が決まったので、次は、作品を制作するためのリサーチである。調べなければいけないことがいろいろあった。道具の調達、鋳造所は?貴金属を購入するところなど・・・・
ダイヤモンドローの奥深くへ
僕はユダヤ人の街に足を踏み入れた。マンハッタンの47ストリートの5番街と6番街の間はダイヤモンドローとよばれ、一年中黒いコートで顎髭の一種異様なハシド派ユダヤ人が多い短いストリートだが、そこだけで全米の80%のダイヤモンドが取引されているという。
とても入りづらかったが,ビルの奥へおくへ入り込んで、その中のオフィスのような扉をドンドン開けていった。すると、すべてもモノはそこにあった。おおよそのことはわかった。これで造る目星がついた。
ただそのまちで、ユダヤ人に信用されるには、まずファミリーのようになり、そのあとでパーソナルチェックを受け取ってくれる。気持ちよくビジネスをするには時間がかかった。


大きな地図で見る
ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 


ゆめみる織部工房群

2010年3月20日土曜日

現代日本の陶芸家


現代日本の陶芸家
いま注目すべき陶芸家120人

2010年3月17日 (出版年月日)
陶磁郎 編

柴田一佐衛門 (page174)


新しい切り口で、なかなかおもしろい陶芸本と思いました。

どうぞ、みなさま、ご高覧下さい。

ゆめみる織部工房群

2010年3月19日金曜日

残っている技術を守りたい。

大坪氏(写真中央 滝呂在住)は上絵付けの職人さんです。以前は、滝呂には多くの上絵付け職人が居ました。下の写真は大坪氏がタイルに絵付けをした作品です。
すばらしいと思いませんか。
工房がスタートしたら、デモンストレーションをお願いします。明日は、岡山まで技術指導に出かけられます。

2010年3月18日木曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 2 日本クラブ時代。

どんな時でもそうだが、はじまりほどエキサイティングな時はない。だから、楽しくても苦しくても常に自分を信じてつねにチャレンジしたい。
前回の続き
二人で、クラブ誌を作るので企画は自由に提案できた。マンハッタンの紹介をするページを担当した。それで1年以上、ほぼ毎日カメラを持って外に出かけた。
ゴールドで作品をつくるという、曖昧な目的でNYにきて、この仕事は自分の目標を探すのにうってつけだった。美術館巡り、チャイナタウン、アスレチッククラブ・・・・毎月、歩きまわった。
ある月、ソーホー(アーティストが多く集まっている地区)の取材をしているとき、一軒のギャラリーの前で足が止まった。ベトナム戦争のころヒッピーが粗雑で大雑把なアクセサリーを付けていたが、時が過ぎ、洗練されたアーティストが出てきて、そんな店だった。
感動した。  アートジュエリーの登竜門「アートウエアー」。その瞬間にアメリカでのチャレンジは決まった。

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 


ゆめみる織部工房群

引出 終了

今日.窯を焼いています

瀬戸黒

引出 予定時刻 18:30

横浜高島屋個展にむけて










ゆめみる織部工房群

2010年3月16日火曜日

ぼくのニューヨーク 簡略編 1 Goldに憧れて

 Ichizaemon ©
1980年、 ほとんどなんの情報もないままNYへ、大韓航空で飛び立った。誰も知らないところへ飛び込むのは不安で潰れそうだったが、心配はなかった。どこにいっても大都会なら日本人が必ずいる。
57ストリートに日本クラブがあり、求人の掲示板があった。そこまで行き着けばもう一人ではない。ほとんどは飲食関係の仕事だった。
ぼくは日本クラブの会員誌の編集アシスタントの仕事をみつけた。1年半ほど働いた。

日本クラブ Phone212‐581-2223   145 West 57th Street)

ぼくのニューヨーク 簡略編、 NYに惹かれる若いひとのために。
柴田一佐衛門 略歴 

ゆめみる織部工房群

2010年3月15日月曜日

グローバル スタンダード

アメリカは多民族国家である。とくに、ニューヨークは「人種のるつぼ」と昔から言われてきた。
そのせまいNYで共存するには、文化を超越して、人間の五感とか、人のサイズとか、シンプルで直感的なモノを基準にして、地球上の人類が、共通してどう感じるかということの具現化しかない。
そのような環境の中で、グローバルスタンダードは試行錯誤を繰り返し、大自然がバランスをとったように生まれる。
頭の中で考えて完成するようなものではない。
picture    e-architect
もしも、美濃焼でも、和紙でも、他の地域の工芸でも、国外に打って出たいのならば、昨日のブログの、アメリカンクラフトショーに参加して,そのなかに、製品を置いてみるのも、 一案である。
何らかの「ものさし」が見えてくるかもしれない。

ゆめみる織部工房群

2010年3月14日日曜日

American craft show

American Craft Council 主催のクラフトショーが ことしは、2月25~28日までバルティモア(Baltimore)で開かれた。厳しい審査 を とおった700人をこえるアーティストが参加するフェスティバルである。

私が、NYにいたのは、もう20年前のことで現在の状況は知るよしもないが、当時は、びっくりするくらいの客でにぎわっていた。完全にビジネスとして成り立っているケースとして研究する価値はある。

1981年、わたしも、このクラフトショーにチャレンジしたがおとされた思い出がある。 

 

ゆめみる織部工房群

2010年3月12日金曜日

土佐の文旦

 Photo  Ichizaemon ©
土佐の文旦、コレを見ているだけでワクワクしてきて、作品を作りたくてたまらなくなりました。ほぼ実寸でアップしてあります。写真をクッリクしてください。
その時の気持ちは、いずれブログに書き込みます。

ゆめみる織部工房群

2010年3月11日木曜日

茶道 遠州流

昨夜、茶道遠州流のお家元、小堀宗実氏と会食ができた。
織部の弟子である、流祖小堀遠州(1579-1649)から数えて13代目の家元である。
日経新聞の「私の履歴書」に12代目の宗匠、小堀宗慶氏がロシアの捕虜として大変な苦労をされた話しを読まれた方も多く、今、ますます、注目を浴びている流派である。
遠州流は綺麗さびの茶である。枯、さびなどに、綺麗という、美のエッセンスが加わっており、現代の生活に違和感なく受け入れやすいスタイルだ。わたしは幸運なことに当代家元に陶芸の指導を受けるようになり、どれほど勉強になったかしれない。ニューヨークの10年の体験も綺麗さびに向いていたのかもしれない。会食をしながらの、今後のデザインの話は、楽しくも緊張のときである。
この秋、遠州流、銀閣寺茶会をひらかれます。

家庭画報3月号 特集「名碗を観る」に宗実家元が登場されます。


ゆめみる織部工房群

デザインとアート

日本には究極の空間「数寄屋造り」がある。
何モノの存在をも互いに干渉する余地を与えず、すべてを透明にさえ感じさせている空間の内に、際立ち、静かに佇む、床の間の一輪の花の自然がある。

現在、デザインは美しいのがあたりまえの時代に完全にはいり、むしろモノが、その存在を消そうとまでしている。それは、デザインがやっと究極の場に存在を得る権利を獲たといえる。
明らかにデザインの定義が変化したのだ。わたしたちは、今、感性の時代のデザインをさらに再考する時がきた。
まさに、デザインとアートのすみ分けを明確にできる塾が一番必要なのである。


ゆめみる織部工房群

2010年3月9日火曜日

宇宙ステーションから地上を観たい

TYK牛込会長とお話ができた。一昨日、インドから帰られたばかりである。
インドには新しく稼働する日産の工場とInfosys Technologies(IT産業)の視察にでかけられた。想像を絶する規模に目を見張るのものがあったらしい。

多治見の話に移り、13日に、今後の美濃焼きを考えるという、若手の製陶業に携わる方々との懇談会を、岐阜県の商工労働部長、江崎氏を交えてひらかれるそうだ。
世界に誇る織部の県、感性と技術が結びつく出会いを造ることさえできたら、生活の必需品である陶器に可能性がないはずはない。
ただ、美しきものありての戦略しかない。

また、きょうTVで、東京で高級ハンバーガーの店が売上を伸ばしているという番組を見た。一方、どうにもならない流れのなかで300円のお弁当競争でしのぎを削っている。

いちど、宇宙ステーションからこの地上を観てみたい。

ゆめみる織部工房群

2010年3月8日月曜日

吉左衞門X

 佐川美術館にでかけた。樂吉左衞門氏の展覧会「吉左衞門X」が目的である。
インドネシアン・プリミティブアートにインスパイアされた樂氏の作品が、その原点とともに展示してある。
これ以上はありえない映画館の中にいるような暗さのなかで、静かに対面しているふたつをじっくり観察できるのが醍醐味だ。
数百年、インドネシアの自然の中で残されてきたモノは、人が創ったというより、もはや自然物に成りきっている。ようするに、どこも不自然さがないのである。このような自然物と一体にならなければいけない企画、樂氏の奮闘と努力と苦しみが暖かく伝わてきて、ぼくは、しばらく動くことができなかった。


ゆめみる織部工房群

2010年3月7日日曜日

東京カワイイTV

東京カワイイTV(NHK)をちょくちょく見ている。ティーンから20代なかばの人たちの番組だ。
ブランドの時代を経て、身につけた個性が自由にハネをのばし、30年前のNYの雰囲気にやっと近づいてきた。
誰かがつくった流行ではなく、ジブンを見つめつくし、自分に似合うものを、ジブンで選ぶということは、文化の熟成後にしか見られない光景である。
特に、自信がモテない国民性が、自信を持って行動に移ったとき、その完成度はかなり高い。 個性の開花
その若者たちが、自国の文化を見つめ、今世紀の美を、そのなかに意識しだすのに時間はかからないはずだ。
本格的な東洋の時代の幕開けの前に、日本の伝統文化も準備しなければいけないことが山ほどある。
番組を見ていて思った。


ゆめみる織部工房群

2010年3月6日土曜日

加藤卓男氏のラスター彩

 香炉 加藤卓男  火屋 Ichizaemon 20k           Photo  Ichizaemon ©
重要無形文化財 故加藤卓男氏のラスター彩香炉に、中国始皇帝の時代の金鳥を模写した火屋(香炉の蓋20k)を制作しました。私の伯父にあたる氏の指導は、今もこころに残り、一言ひとこと忘れることができません。

ゆめみる織部工房群

2010年3月5日金曜日

重要な夜、酔った、そして感謝した。

昨夜、名古屋にて、織部工房群のミーティングをひらいた。
スペシャリスト杉山氏、NYで知り合った大物k氏、一佐衛門、そして今回より、元大倉陶園社長、I 氏の参加で、話し合いは大いに盛り上がった。

織部工房群、新たなるページに移ることになる。


ゆめみる織部工房群

2010年3月3日水曜日

韓日伝統文化協会会長

韓日伝統文化協会会長、超萬濟氏の訪問があった。大韓民国大使館コリアセンター(南麻布)で4月8日から11日まで開かれる、韓国宮中茶禮と韓国陶芸の展覧会「茶・器」の件で来日され、縁あって多治見まで足をはこばれた。
韓国、茗園文化財団との繋がりもあり、その意味は大きい。隣国との文化交流に織部工房群がもつ役割をお伝えした。

Ichizaemon茶室にて 

ゆめみる織部工房群

2010年3月2日火曜日

土岐プレミアムアウトレット

車で5分ほどのところに、プレミアムアウトレットがあり、年間440万の人が買い物にきている。
昨年の暮に、アウトレットの支配人にお会いした。
国内各地にあるアウトレット、それぞれ各地の特徴を出していくことがサービスにもつながり、また地元にも感謝される。そのための斬新な企画が必要であると話し合った。
プレミアムアウトレットは、計画をとことん練りあげられた上に構築された夢の場であり、安易な気持ちで協力を持ちかけることは相手からすれば迷惑でしかない。
地元のエネルギーを蓄積して対等な話し合いがしたいものだ。


    Ichizaemon©  

            ゆめみる織部工房群